FURANO NATURAL STUDIO
塾地内にある建物は全て塾生が建てた物です
物を創るには技術と心、二つのものが必要である。人の心を打つ為には技術を心が越えてなければならない。技術を磨くことは勿論のことだが、技術が高まればそれを超える心を磨かなければならない。
〜富良野塾講義録〜
富良野塾STORY
1981年に放送されたドラマ『北の国からに、大きな感動を受けた全国の若者から寄せられた「富良野で学びたい」という手紙。その真摯な文言とひたむきな筆あとに心揺すぶられた倉本聰が用意したのが、富良野の山里で、二度の春夏秋冬を走り抜くという特別な長距離走。それが「富良野塾」である。目標とすべきゴールは「感動」を生み出すこと――。
丸太小屋建設
1984年に第1期生入塾以来、2010年4月の閉塾まで25期26年間に375名の若者が、この北の大地を駆け抜けた。志し半ばにこのレースを去ったものを含めると、500名近い役者とライターを目指す若者の足跡が、この地に刻まれたことになる。
富良野塾閉塾式
夏場の農作業で生活費を稼ぎ、住まいも自分たちの手で。倉本の講義に心を熱くし、冬に創り上げる「演劇作品」に持てる力と情熱を全て注ぎ込む。生活そのものが芝居の勉強。生きることそのものが「感動」であるということを全身で学んだ塾生たち。
レストラン棟建設
農作業アスパラ刈
開塾当初、「育ててくれたテレビ界に恩返ししたい」という倉本の意向に添い、果敢にテレビ界に挑戦した卒塾生は、倉本から学んだ「心から演じ成りきる」という時間をかけて創り込む役作りが、即戦力を必要とするテレビの現場に受け入れられないことに戸惑う。ポッと出のタレントが主役を張れる「とりあえずそう見えればいい」テレビの世界。倉本と塾生は、一期一会の真剣勝負、演劇作品に全霊を傾けだす。
公演稽古
講義風景
ダンスレッスン
1988年、富良野塾スタジオ棟のこけら落としに上演された「谷は眠っていた」を皮切りに、富良野塾が閉塾した後も「富良野GROUP」と改称し、実力のある0Bを中心に11本もの創作舞台作品を創り上げ、国内のみならず海外でも高い評価を受けてきた。
千穐楽カーテンコール
今後これらの作品をどう継承し次の世代に渡していくのか――。 その想いのもと、2023年に「悲別2023」上演に伴い、全国キャストオーディションを実施。今後も新しい形で富良野塾・倉本イズムを受け継いでくれるであろう若者と出逢えることを期待し、富良野GROUPは走り続けていく――。
「悲別2023」公演キャスト・スタッフ
富良野GROUPの活動にご興味を感じられた方(俳優活動・スタッフ)お気軽にご連絡いただければ、ご相談に乗らせて頂きます。
〒076-0035
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